日本の田舎に泊まることは、外国人にとっても魅力的な体験となる。それも農家のお年寄りがもてなしてくれるとなると、思い出深いものになるだろう。中でも、山形県の飯豊町は台湾人に宿泊先として最近選ばれている田舎なのだ。なぜ飯豊町が人気になっていったのか、これまでの経緯をリポートする。
ポイント
・飯豊町観光協会がリーダーシップを取り、台湾との関係構築に尽力
・台湾からの雪遊び体験という初めてのチャンスを最大限に活かす!
・民宿との日ごろの信頼が、外国人受け入れに大きく前進させた
■田舎を満喫するため、山形県の山奥に台湾からはるばるやって来る?
山形県飯豊町は山形県の南西部に位置し、県内でも有数の豪雪地帯である。そんな日本の片田舎に台湾から多くの観光客が訪ねてくるという。目的は、地元のお年寄りがもてなす民宿に泊まり、交流を温めることだ。
飯豊町観光協会の二瓶氏は、人気の理由は、「これまでの関係性の構築」が大きいと言う。それがなければ、農家民宿への台湾ツアー誘致は実現していなかったと断言する。
この「関係性」とは、2つの意味があり、1つは観光協会と台湾旅行会社との関係性、そしてもう1つが観光協会と民宿との関係性だ。
■雪遊びの提供が台湾との絆のきっかけに
まず、観光協会と台湾旅行会社との関係性は、どのように構築されたのだろうか。
始まりは2008年にさかのぼる。当時、台湾では樹氷をテーマにした冬の山形を巡るツアーが開発されつつあった。そこで、積雪が多い飯豊町の二瓶氏に雪遊びができる場所の紹介依頼があり、町有の駐車場を雪遊びの場として提案することになったのだ。
それらの効果もあり、さっそく翌年の2009年1月に120人の台湾ツアー客が来た。
そして雪遊び終了後、帰りのバスとスノーモービルを並走させて、台湾の国旗を掲げて手を振って別れの挨拶をした。今回、飯豊町を利用してもらった感謝の気持ちを伝えるためだった。
この場面が印象深かったと参加者からの評判が良く、その情報がツアーを企画した台湾の旅行会社に伝わった。当初はシーズンで300名程度としていた送客数を、900人に増やすことに変更した。他の地域に振り分けていた雪遊びプログラムを、飯豊町に集約する方針に変わったのだ。
さて、2009年の秋、観光協会の二瓶氏は、お礼にその台湾の旅行会社を訪ねた。担当者と再会を果たし、先方も喜んでくれた。そのような関係性によって、翌年の2010年1、2月は2,120名も送客してくれたのだ。
■雪遊びに続くコンテンツとして農家民宿を企画
しかしながら、東日本大震災や円高の影響で、好調だった台湾からの雪遊び体験もしぼんでいくことになった。2012年1、2月では約400人にまで激減していた。
一方で、観光協会では、2011年の12月、既に次の一手を打っていた。台湾のランドオペレーターに視察に来てもらい、東日本大震災後も飯豊町が安全であることをアピールした。その際に、雪遊びだけではなく、飯豊町のキラーコンテンツの一つである「農家に泊まる」という新しい企画を提案してみた。というのも、既に国内の修学旅行で人気となっていたからだ。
期せずして、ちょうどその頃台湾ではテレビ東京の「田舎に泊まろう」という番組が再放送されていて、そのイメージが飯豊町の田舎がぴったりはまり、反応が上々だったという。そして、さっそく、冬の雪遊びとセットにした商品化に動いた。
やはり、それまでの実績があったからこそ、台湾の旅行会社は、新しい企画を練り上げる行動がスムーズだ。お互いに顔がみえる関係性があるから、安心して進められたのではないかと二瓶氏は振り返る。
■農家民宿もまた、観光協会が民宿と築いていた関係性により実現した
さて、農家民宿のある飯豊町中津川地区は、山々に囲まれた場所だ。この地区の農家民宿が営業認可を取得したのは2007年4月。「限界集落」と呼ばれ、住民の危機意識が高く、地区内の民家8軒全てが一丸となってスタートした。
当初はもっぱら教育旅行の受け入れをしていたが、海外からの受け入れとなると、勝手が違う。農家のお年寄りたちは、最初は首を縦には振らなかったそうだ。
しかし、二瓶氏は、暇を見つけては中津川地区を訪ね、お茶を飲みながら世間話や現状についての話をするなど、顔の見える関係をしっかり築いていった。
そして、粘り強く説得して合意に至ったのだ。やはり信頼関係があったのが大きいと、二瓶氏は当時を振り返る。
農家のお年寄りが、どういった点に不安を抱いているのか、しっかりとコミュニケーションをとった。外国語の問題、急患の問題など、心配事項は観光協会が全面サポートすると伝えた。職員が夜中でも出動できるような体制を取り、警察、消防、病院にも根回しをした。つまり、現場目線を持つことが重要だと、二瓶氏は言う。
■農家民宿そのものが人気となり、冬以外にも受け入れが進む
もともとは雪遊びとのセットプランだった農家民宿だが、徐々にお花見の時期、芋煮会の時期など、通年で来てもらえる商品に育ってきた。その結果、現在、宿泊者数は年間200名前後を推移している。花笠づくり体験等のメニューもあるが、田んぼのあぜ道を歩いたり、地元のお年寄りと交流したりするだけでも満足されている。
今では、町が補助金を出してiPadやWi-Fi環境が全民宿に整備されている。スマートフォンを持ち込むなど、外国人にとってWi-Fiは絶対に必要だ。観光協会は、IT講習会を開き、年配の方々に理解をしてもらう取り組みをしている。
中には、農家の方と台湾の方がフェイスブックでつながり、関係性が続いている例もあるという。実際に台湾を訪ねた方もいるそうだ。
やはり、観光協会がリーダーシップをとって、人間関係がしっかり築かれてきたのが大きい。まったく知らない人からの営業では、なかなか聞く耳を持ってもらえないのではと、二瓶氏は振り返る。人との関係性を継続する努力をどれだけするか。それが人気のエリアの秘訣なのだろう。
取材:やまとごころjp
(インバウンド業界のポータルサイト)
http://www.yamatogokoro.jp/